榎倉康二・高山 登・中西夏之〈40年後の「 空白の 粒子の中へ 兆みる。」〉ENOKURA Koji ・TAKAYAMA Noboru・NAKANISHI Natsuyuki Exhibition 2024.10.3-10.27
ギャラリー21(現在のgallery21yo-j)は40年前(正確には41年前/1983年)に「 空白の 粒子の中へ 兆みる。」(出品作家ー榎倉康二、高山 登、中西夏之)という展覧会を、開廊一年後に開催いたしましたが、去年の1月8日に高山 登氏が亡くなり、そうか、3氏とも逝ってしまわれたのか、画廊は40年も経ったのか、という感慨と共に何かしなくてはという思いが湧いてまいりました。 私は画廊を始めた時はたいした考えも無く始めてしまったものですから、同級生だった榎倉さんになんとか1年保ったので記念展のようなことをしたいのだけどと相談しましたら「中西さんと高山と僕で、3人展をしたい」と言われました。それではそうしましょうと軽い気持ちで受けて、中西さんに出品のお願いに行き、それから実現するまでに大変な思いをしましたが、兎にも角にもその展覧会は実現出来ました。そして、この時の彼等との出会いがギャラリー21のその後の方向を決めて行き、これが有ったからギャラリーは40年間続いてきたと思っています。 その様に私にとって大事な作家たちであり、大事な展覧会の40年後にあたって何をすれば良いかと考えた時に、(実を言えば、大それたことをやろうとしてしまったと後悔しましたが)いわゆる回顧展のようなものは出来るわけもなく、また、それは私のやることとちょっと違うと思いました。当時は3人とも現代美術の作家として勢いがあり、それゆえに反発する人や、やや偏った見方をする人もあったと思います。それでも美術界にとっては関心を持たざるをえない作家達でした。しかし、今回の展覧会を見てくださる方々は、彼等をよく知らない世代も多くなっていると思います。 今回、私の独断ですが、彼らの生涯の作品の中でも良いと思う作品を、小規模ですが展示しようと思っています。そして作品をみせるだけではなく、彼らの人間性も感じていただけるような展示になったら、一層作家に興味を持っていただけるのではと考えました。それで彼等がどんな作家達だったのかを、同時代の人とは違い思い込みの少ない、フラットな視線で彼等を見られる世代の方で、何らかの形で3人の誰かに直接関わった方が、その人をどのように見ていたか、または面白いと思った出来事があったら短く書いていただき、同時代の人も知らないエピソードを載せた読み物(テキストというより夕刊フジ?的なもの)を作り、皆様にお配りできたらと思っております。幸いに原稿をお願いした方々は私の無茶振りにも関わらず、快く引き受けてくださっています。どのような展覧会になるかとても楽しみです。大いに興味を持って見にいらしてください。 2024年9月1日 gallery21yo-j 黒田悠子
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