水戸部七絵×野村和弘 展 2024.4.25-6.23 / nn-2 野村和弘 〈片方のイヤリング(落とされ、ペチャンコにされた、片方のイヤリングは、まだ妖精とともに)〉NOMURA Kazuhiro Exhibition 2024.4.25-6.2

撮影 : 加藤健
トレイン・チェーン

政治家が酷すぎる!、というのは、その通りだろう。確かに、近ごろ表面化している不手際は、怒りを通り越して呆れるほどだ。子供たちも認識を待たずして、大人は信じるに足りない存在、として悟ってしまいかねないのではないか(以前なら、成長に応じて、大人の事情を知っていくということだったはずだ。その初めには、盲目的としても、全面的な信頼が存在していたに違いない。期待感、ワクワクする気持ち?ゆえに、学校教育も、それなりにままなってきたのだろう。としても、デタラメでも構わない、いい加減でも許されうる、というような空気が浸透しつつあるのではないのか?損するのは、嫌だ!もはや、誰もが、大人なんかになりたくない?)?それでは、たとえばプーチンや、習近平が、本当にすぐれた哲人政治家であったとして、そのような存在を待望すべきだろうか?問題を解決してくれる、スーパーマン?、救世主?いつの時代?その姿勢こそに、問題が?あるいは、システムとしての?不徹底すぎた?上手く働かせるためには、もっと細部に至ってまで、ガチガチに構築される必要が?息が、詰まってしまわないか?しかし、その場を形成する人間自体が成熟さへしていれば、たとえば資本主義、共産主義にしても、十分に機能してくれたのではないだろうか(それの体制について言うなら、富の分配のし方が隔てたシステムに他ならない。そのことと、強権的な政治体制とは、何の関係もなかったはずだ。それなら、敵対する必要が?その反対に、資本主義と、民主主義では、とても親和的に振る舞ってきたにもかかわらず、相反するシステムとして存在していたに違いない)?問題は、自分が変わる(成熟する)こと?、生き生きとしていられるように働くことではなかったか?

この作品に使われた列車たちには、牽引車(玩具で言えば、先頭に位置する、後続を牽引するモーターつきの動力車両)が含まれていない。普通なら、脇役?、牽引される車両ばかりが寄せ集められたものだ。ならば、どうしても立ち行けなくなってしまう?みんなが、牽引されることから脱却し、生き生きと輝けるように自らで歩み始めるとすれば(ワクワクしながら?誰もが、大人になんかなりたがらない、がゆえにも、誰もが、ちゃんと、別種の大人になるべきなのでは?別種の大人とは、日々に潰される人でも、戦う人でもない。誰でもが、本当は、生き生きとしていたかったはずなのだ!、を生きる人)?自分のために行うことが、他の人にも利益あるものとして現れてくれるのでは?でも、どうせなら、牽引車になりたい?あるいは、牽引される車両に?このように、まだ今に及んでも、人を意志させているものとは?牽引車的存在にも、牽引される車両と同じく、依存性が存在していたのではなかったのか(たとえば、会社の上司は、できる部下に依存しがちだ。共依存?これこそが、内向きに閉じられたもの、表出されるエネルギーを削いできた張本人なのでは?)?頭が偉いわけでも、手足が偉くないわけでもない。それぞれが、別々の役割りを担っていて、それぞれの役割が全うされない限り、全体として輝くことも期待できなかったのではないか(それぞれの立ち位置の違いは、ひとえにその人の資質に起因すべきだ。ならば、どっちがどっちよりすぐれている、なんて、言える?自分を、知る必要が。自分が心底、気持ちよくなれるように働くこと。自分で選んだつもりでも、選ばさせられていた?、そんなレベルでの選択は、すぐにでも卒業すべきだろう。感覚の尊重へ)?

そして、すべてがズルズルと繋がっていたとすれば、むしろ怪しくないか?みんなが、同じ考えを持つに至ったら(繋がったら)、平和な世界が訪れる?仲良くしなさい、と、小学生の頃から教わってきたように?それは、偽りなく、子供たちのためだった?学校運営が、滞りなく進むように?少しも質問しない学生たちも、こうして作られた(目的自体がズラされた、ごっこ的な営み?やったつもり?それでもいいじゃないか!、実際にもやったんだし。成長を見せた学生も、決して少なくない。でも、人間は、本来的に、成長を欲する存在なのでは?)?そもそもとして、意見の対立は、いけないこと?今の時点ではその形でいる(どこかに、連結している)としても、いつでも組み換えられて構わないし、そうしていないときでさへ、その可能性を携えてあるべきなのでは(私の前作、「リング・チェーン」でも、マルカンによるリングの連結方法が、ジュエリーとしては当たり前だとしても、この作品はジュエリーではない、また暗黙裏でとしても、このことを気分させてくれたのではないか?簡単に繋げることができ、また外すことも可能、かつその繋がり加減が弱くもない。また、本体が傷つけられることもなく。そこには、次なる連結への許容感、パフォーマンス性が入り込んでいる。これは、私の多くの作品に共通する重要性だろう。また、一貫性ということについては、もっと長いスパンで見るべきなのでは?だいたい語られてきたのは、対外的に組み立てられた、あるいは自分がそうありたい、それがすぐれた人間の雛形だから、という演出されたものに過ぎなかったはずだ。美しい直線?すぐれた人間はブレない、それ本当?、本当だとして、ブレない私は、すぐれている?そもそも人間は、一貫的なのか?また、こうやって成功しました!、語りも、どれだけの信憑性が?)?ここでは、すべて違う車両が並べられた。(部分的に塗装されているものの、)樹脂素材自体に顔料が入って、鋳造形成されたプラスチックは、それぞれボディある発色で、あらためて美しい(生き生きとして、輝いているように見える)。また、異なる繋がり(複数のコミュニティ?)を、形成して。

現在の政治家に対して、現実的に言うなら、若く気力があって、頑張りが効く時期から、せいぜい20年くらい、懸命に働いて、(そこにいくら充実感を感じていたとしても)もうクタクタなのでは?、(でなくても)後は勇退し(政治から切れる形で)、若い人にバトンタッチして、現役時代に見つかった?、気になっていたことなど、第2の人生に挑戦してもらう、というようなことでいいのでは?

野村和弘

Title: 片方のイヤリング(落とされ、ペチャンコにされた、片方のイヤリングは、また妖精とともに)
year :  2022
Material  :綿布、片方のイヤリング
Size   :可変


Title: トレイン・チェーン
year   :  2023
Material  :玩具の列車
Size :可変

Title : Eva’s Breast
year   : 2004
Material   :木製パネル、合板、アクリル塗料、染めボタン、アクリルケース
Size :h305 x w435 x d40 mm
Title: リング・チェーン
year :  2024
Material  :リング、マルカン
Size  :  h110 x w157 mm