私にとって空間に鉄を置いていく感覚は、紙面に色を置いてドローイングする感覚に等しい。
そこには自己完結という言語は存在せず、極めて流動的である。それは、あくまでも見る側に想像する余白を残すことなのかもしれない。今まで制作とは、その時々の自分の感覚の記録を残すことのように朧気に思う節はあったが、最近はむしろ人々の記憶を呼び起こすカタチとは何かということではないかと、何か自分の原点に戻るような気持ちで考えてみたりする。たとえ、それが意味のない作業の繰り返しであっても、そこに価値を見出せるか否かが制作を続けていく意味で重要なモチペーションなのかもしれない。
この十年を振り返って自分が制作してきた流れで、いま漸く次の展開に移行する時期を迎えようとしている気がする。未だ言葉にもカタチにもならない何か、それは抽象的な表現かもしれないが、何処からともなく降りてくるような感覚である。
前田哲明