箕輪亜希子〈16:51-21:03〉MINOWA Aakiko Exhibition 2021.6.17-7.4

                                      撮影:坂田峰夫

この作品は、昨年2月にある地域で石を探すことから始まりました。出会った石は24つ。彼らはそれぞれの場所でそれぞれの在り方で存在していました。私は、その石1つ1つについて断片的な物語を書き、googlemap上に閲覧できる形で文章と石の画像を残しました。

タイトルの「16:51-21:03」は石を見つけた時間の範囲です。実際には複数の日にわたって石の捜索を重ねている為、この4時間12分という時間内では回りきれない旅路です。実際に全ての石を訪ねるには少なくとも倍以上の時間が掛かるでしょう。架空の断片的な時間。ある時間の欠片。それが「16:51-21:03」です。

1つ1つの文章は、石の各場所での在り方や性質、その場所自体の状況、それぞれの石と出会った時間、またその時間を年号に変換し(例:16:51→1651年)その年に起こった出来事、私の記憶、などがない混ぜになったものです。なので1つの物語自体も複数の断片から無理やり形作られた歪んだものでもあります。

この作品は、文章を読む場所や距離、鑑賞方法で複数の体験が立ち上がるものだと思っています。googlemapに記録されている「石が存在する場所」に実際に足を運び、石と同じ地平に立ち文章を読む。個々人の好きな場所から見下ろすように距離を持ち、地図上の石たちの物語を読む。等。鑑賞者の身体的な距離や状況は、新たな要素となり物語を構成する一部となります。もちろん体験する人それぞれの中でも差異は生まれるでしょう。複数の形が現れることは私の作品の中で大きな意味を持っています。

今回、gallery21yo-jでの展示では、このgooglemap上の作品をインスタレーションという形で表現することを試みました。石の文章を追いながら、16:51から21:03という時間帯にある街で彷徨っている誰かを思い浮かべてもらうことは可能だろうかというところから作品を作り始めています。開廊時間をタイトルと同時間にしたのもこういった理由からです。

画廊上部で流れる映像は、石の物語を時間軸通り実際に歩き、4時間12分という時間に合わせて編集したものです。映像は今回の展示の数週間前に撮影されたもので、昨年の2月からは時間の隔たりがあります。都市の変化のスピードは早く、石たちの中には、隣接していた建物自体が解体され、それに伴っていなくなってしまった者や、繁茂した雑草の中に埋もれてしまい見えない者、何故か少しだけ移動している者等様々で、ほとんどの石に再会するのは難しいことでした。

今回、1年3ヶ月前に書かれた文章を新たに初めから書き直しています。この1年と数ヶ月の時間と経験はもう一度、物語に意味を与えたように思います。あの時のことを思い返す。それから起こったことを思い返すこと。そして今起こっていることを、これから起こることを思うこと。それは私の中で24つの石と共にあります。それは過去の欠片であり、現在の、また未来のものでもあります。

物語は16:51(1651年)から始まります。この年、イングランドの哲学者トマス・ホッブズ(Thomas Hobbes)が著した政治哲学書『リヴァイアサン』が発行されました。その本の口絵には王冠を被った巨大な人物が描かれていて、よく見ると彼の身体は多数の人間から構成されていることが分かります。個々人が自己の保存を達成するために行われる闘争を停止させるため、他者と共に平和と自己防衛の為に必要な権利を放棄、譲渡することで共通権力を構成する。この同一性によってもたらされる社会こそが国家と呼ばれ、それをホッブスはリヴァイアサンと呼びました。リヴァイアサンとは、旧約聖書に登場する巨大で強固な鱗を持つ海の怪物レヴィアタンから取られています。

そこから外れた者として16:51の石の物語を書き出したことから、この作品の文章は不思議と境界に関わる者たちの話になっていきました。24つの石のうち、文章は19個目の20:19までしか書かれていません。それはまだ感染症が広がっていることが認識される前のことで、これ以降世界は思ってもいなかった事態に飲み込まれていくことになります。残りの未来の年号を含む5つの石はその時が来たら文章を書くつもりでいます。最後の石である「21:03」については私が生存している保証はありません。その先に何があるのだろうかと思うこと。ここではない何処かへ思いを馳せることが今は重要なのではないかと思っています。

2021.6 箕輪亜希子



16:51 – 21:03
  2020  紙、インクジェットプリン 118.9×84.1cm

展示施工:小林丈人(C田VA)